2025年5月3日に那覇市で行った講演で、沖縄戦の犠牲者を慰霊する「ひめゆりの塔」の展示内容について「歴史の書き換え」と発言しました。この発言が沖縄県民や関係者の感情を傷つけるものとして批判を受け、同月9日に記者会見を開き、発言を撤回し謝罪しました。
発言の経緯と内容
西田議員は講演で、ひめゆりの塔の展示について「日本軍がどんどん入ってきて、ひめゆりの隊が死ぬことになった。そしてアメリカが入ってきて沖縄が解放された。そういう文脈で書いている。歴史を書き換えられるとこういうことになっちゃう」と述べました。この発言は、沖縄戦の歴史認識や慰霊の場に対する配慮を欠いたものとして、地元沖縄や与野党から批判が相次ぎました。
発言撤回と謝罪の理由
5月9日の記者会見で、西田議員は「丁寧な説明なしに、ひめゆりの塔の名前を出して講演したこと自体、非常に不適切だった」と述べ、発言を撤回し謝罪しました。また、「ひめゆりの塔というのは沖縄県民の皆さんが本当に耐え難い大きな苦しみの歴史、トラウマになっていることを改めて痛切に感じた」と述べ、沖縄県民や関係者の感情を傷つけたことを認めました。
発言の背景と今後の対応
西田議員は、発言の背景として、過去にひめゆりの塔を訪れた際の展示内容に基づいて発言したと説明しましたが、現在の展示内容とは異なる可能性があることを認めました。また、今後は沖縄県民の感情に寄り添い、沖縄の政策支援に取り組む意向を示し、ひめゆりの塔を訪問する考えも明らかにしました。
結論
西田昌司議員の発言は、沖縄戦の歴史や慰霊の場に対する配慮を欠いたものであり、沖縄県民や関係者の感情を傷つける結果となりました。その後の謝罪と発言撤回は、批判を受けたことや、沖縄県民の感情に対する理解を深めたことによるものと考えられます。今後、政治家が歴史や慰霊の場に言及する際には、より一層の配慮と慎重さが求められるでしょう。